※この記事は筆者が大学生(2020年3月)に執筆したものです。情報は当時のものです。
インドネシア・クパン。ティモール島の西部に位置して、この島最大の都市は人口35万人とのことです。
東ティモールに陸路で向かう人は必ず訪れる場所(年間に100人もいないと思うけど)
バリからは安ければフライトで6000円程度です。
地球の歩き方になど載っているはずもなく、ネットで検索しても情報は少ない。ならば書くしか…
■目次
東ティモールの領事館
東ティモールに陸路で向かうには、通行許可書が必要。
それはクパンにある東ティモール領事館で取得できます。無料です。
めっちゃお願いすれば最短翌日にもらえるらしいですが、翌々日の受け取りが普通のようです。
ただし、土日祝日はやっていないので、その場合は月曜に受け取りです。(僕は金曜に提出して、月曜に受け取りでした)
朝8時から夕方18時まで(昼休みあり)やっています。
東ティモール行きのバス予約
有名なのが「Timor Tours」のようです。場所は地図の通りです。
Timor Toursと連呼すれば、市内を走る簡易バスを1回乗り継ぐ程度でたどり着けます。
ちなみに市内を走る簡易バス(フィリピンのジープニー的な)は、1回2000IDRです。
東ティモール行きのバスは毎朝6時出発のみ。昼に国境が閉まるからだそうです。
なので、朝8時に通行許可書を受け取っても、その日に東ティモールに向かうのは難しそうです。
Dili行きのバスチケットは225000IDRです。(古いブログ記事は200000IDRとありますが値上げしてます)
宿の情報を伝えれば、朝にピックアップしに来てくれるそうです。
どこに宿泊するのが賢明か?
街を散策した結果、中心部はどこか分かりませんでした。
booking.com等で安い適当な宿を見つけるのが良いのではと思いますが、僕は「OYO cozy stay」に泊まりました。
1泊750円くらいでクイーンベットでした。WiFiはギリ動画見れるかな…くらいの速さです。
ホットシャワーも出るし、エアコンもガンガンかけれるし、虫もいないし、トイレも綺麗。ただし、フロントスタッフが英語が微妙なので、4割くらい推測して話す必要あります。
この宿は「Bis Terminal Oebobo(ビス テルミナル オエボボ)」の近くなので、タクシー等で戻って来る際に便利でした。有名みたいで誰でも知ってます。東ティモール領事館、レストランやショッピングモールも徒歩圏内です。
ランドリーは丸1日かかるものが1kg15000IDRで、半日で30000IDR。
あと、徒歩10分くらいのところに、別のOYOもありました。
Bis Terminal Oeboboを起点に
Bis Terminal Oeboboを起点に便利だった場所を地図に記していきます。観光的なものは僕の中ではあまりなかったです。
ただ、空が綺麗で、丘の上から海が見れて、騒音も少なく、平和な街でした。
大きめのスーパー
オムツから生鮮食品など必要なものはだいたい全部揃うかと。
ショッピングモール
KFCのパロディ?のCFCや、日本食っぽい店も入ってるモール。
僕はチキンカツカレーを食べました。44000IDR。Taxで10%かかった。
生鮮食品や生活必需品は売っておらず、優良なwi-fiの確保や現地飯に疲れた時に重宝しそうです。
大きめのショッピングモール
クパンで最も大きいと推測します。3階は遊園地みたいになってます。
ハンバーガーチェーン店のWendy’sや、日本ではサーティーワンで親しまれるBaskin-Robbinsも入ってました。
KFCとマクドナルドはこちら
市内唯一?のKFCとマクドナルドは並んでおり、ここにあります。
その隣にはウォーターパークなるものがあり、プールに入れそうです。
空港から市内へは
空港は小さく、歩いて行き来するスタイル。
空港からGrabを開くと、200000IDRと激高な価格が。
一般のタクシーは空港から一律の値段で出ているらしく、出口を出て外へ行き、左手に進むと人が集まっているカウンターがあるのでそこでチケットを購入します。70000IDRです。
クパンの歴史に思いを馳せて
ちなみに、1942-45の間は日本が占領していたこともあったそうです。日本からかなり遠いこの場所にやってきた戦時中の日本人の心境や、占領下になった現地の人々の気持ちを想像しようと思いましたが、かなり難しく複雑な気分となりました。
さて、今では全く日本の影は見えませんが、現地の人々はどう思っているのでしょうか…
聞いてみたところ、「僕の生まれる前だし、特に気にしていない。日本に対しては…支援で道路を作ってくれたりすることに感謝しているし、YAMAHAやTOYOTAはすごいよね。」との回答。
また、隣の東ティモールは2002年に独立をしましたが、その前に世界から非難されるような弾圧をインドネシアから受けており、その影響で多くの人々が現東ティモール領から、クパンを始め西側に逃げてきた歴史もあるとか。
その前の歴史を調べると、軍事的な立地の良さから港が開発されていたり…歴史を調べると大変興味深い地域でした。
クパンで4泊5日しましたが…
人生でなかなか、こんなにゆっくりする旅が今までなかったので新鮮でした。
しかもドミトリーじゃなかったので。
ご飯のレパートリーは少ないです(炭水化物多いし)が、物価も安く、どの時間帯でもどこかでは食事を取れるので良かったです。ただ、もう来る機会はなかなかなさそうです。