吉野裕斗の世界一周の話をします〜高校生世界一周バックパッカー?〜

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僕が高校生の時の思い出話です。
僕の人生の中でも強烈な体験。18歳の時の出来事。

多くの方の応援・ご支援を受け、2015年5月~2016年2月の間に29カ国を巡る世界一周をしました。

旅で学んだ多くの知識や経験は今もなお生きており、
講演活動や旅革命などを通じて、その学びを皆さんにお伝えする機会もいただいています。

この世界一周に関して聞かれることが多いので、
今日はその概要や何をしていたかなどを書き連ねたいと思います。

なぜ世界一周をしようと思ったのか?

当時、高校2年生の時でした。
名古屋高校生国際協力団体-どえりゃあwings」を運営しており、国際協力に関心がありました。

でも、活動を深めるうちに国際協力にも様々な分野・アプローチでの支援があること知り、自分がどの立場を目指すべきか悩んでいました。日本にいて得られる情報は、二次情報で、本にしろ、報告会にしろ、テレビにしろしっくりくるものがなかったのです。

それに現地の人たちは実際は何に困っているのか、実際に活躍している人はどんな想いでどんなことをしているのか知りたいと思うようになりました。
「国際協力を仕事にしたい」という高校生も今時は少なくなく、そういった仲間への情報発信の機会にもなれたら良いなと思いました。

そんなことを考えていた高校2年生の10月に、ある講演会で「世界一周」という言葉を初めて知ります。

そうか!実際に現地に行けばわかることだ!

僕は現地に行って、しかも1カ国ではなく、様々な地域を巡って現状を知りたいと強く思うようになりました。
簡単に言えば「途上国訪問の旅」です。

ただ、キャッチーな「世界一周」という言葉をお借りして、当時の僕は「学びたい」という想いのもと動き始めることになりました。

 

どうやって応援・支援を集めたのか?

親の説得や、学校への休学届け、お金の工面など様々な壁がありました。
結論から言えば、資金は企業・個人の方から協賛していただき、この度が実現しました。

本当に多くの方のお力があって僕は今があります。
改めて、本当にありがとうございました。

この類の質問もよく聞かれるのですが、あまり積極的に応えたいと思いません。
僕が応援をしてくださった方の期待に応えれている自信がないのと、一部、約束に添えなかったこともあるからです。

ご迷惑をおかけしたかもしれない分、方法や経緯を広めてもそれは社会にとって良いこととも思えません。
それに、僕に戦略的に集めたということはなく、想いとご縁で結果的に実現したと思っています。

拙い文章では誤解を産むことにも繋がりますし、ここで紹介するのはやめたいと思います。
簡単な概要やそこから得た学びなどに関しては、講演会にてお話ししますね!

 

世界一周中は何をしていたのか?

旅の中で国際協力系の機関を訪問したり、実際にボランティア活動をしたり、現地の起業家やJICA隊員の方のお話を伺ったりとたくさんの学びの機会をいただいてきました。

宿を予約し、現地を歩き、交通手段も自分で確保し…という一般的な旅の傍、アポイントメントをとって各種機関にお伺いしていました。
旅中のアポイントメントですので、トラブルもあるし、かなり大変だった記憶があります。

 

また、学んだことはブログ記事を中心に、Twitterやfacebook、新聞記事や進学情報雑誌のコラムを書いたりと発信していました。
訪問先の事前学習などもあるので、パソコンに向き合っていた時間もある程度ありました。

旅中のブログはこちらです!「高校生単独世界一周バックパッカー」をご覧ください。
拙い文章で当時見たものや、学んだことを書き連ねています。

ダイジェスト版でいくつか代表的な記事を紹介するとしたら…

などなどでしょうか。

他にも類似記事はたくさんあるので、興味のある方は読み進めて見てください。
学んだ総量や質のわりに、ブログに書き溜めれていないのが悔しいです。

 

世界一周で何を学んだのか?

国際協力に限らず、様々な分野の世界のことを学ぶことができました。

「日本とどこかの国」で考えていた世界地図が、「知らなかったどこかの国 と ご縁のなかったどこかの国」で見れるようになり、あの国のこの制度はあっちの国でも適用したら良いのではないか…みたいな思考が身につきました。

あとは基本的に陸路で移動したおかげで、世界地図を「国」という見方と「文化圏」という見方でも見れるようになりました。
例えば、インド料理はケニアやタンザニアの東側・インド洋側でも盛んに食べられており、イスラム教徒もこの地域に多いです。

国際協力でいえば、本当に多様な現場に触れることができ、一筋縄に語れないジレンマをたくさん抱えて帰ってきました。

ここで簡単に書くと浅く聞こえてしまいますが、「無償の支援は麻薬」だという想いが非常に強くなりました。
それは様々な体験から思ったのですが、ボランティアをしている満足や一方的な支援の押し付けが、現地に悪影響をもたらしていることが少なくないということ。

それは個人の支援でも、国家間の支援でも同じことが言えます。
依存が残る支援は支援とは言えません。

すごく簡単に行ってしまえば、いわゆるソーシャルビジネスというものを支持します。ただ、フェアトレードの弱点やそれを批判する現地の声も聞いた上で、ソーシャルビジネスやフェアトレードを全て容認すれば良いというわけではないことも知っています。

これは議論が深まるばかりで、記事では表現し尽くせないです。
この記事の中では、この話題はここまで。

 

帰国後の余談を少しだけ

この写真のようなルートで旅をしました。
アジアを10カ国、アフリカをケニアから南アフリカまで10カ国、南米をアルゼンチンからコロンビアまで7カ国回りました。
そこにトルコとアメリカを加えての29カ国です。

まさにこの写真にあるように、TVで取り扱っていただいたりもしました。

同世代の自分が見て来た世界を語ることは、同世代の高校生や大学生にとって刺激的であったらしく、嬉しいことに学校講演などのオファーが入るようになりました。
講演会も今では150回ほどやらせていただき、多い時には一般参加の講演会でも350名の方に集まっていただきました。(日進市市民会館での開催)

ただ、様々な国の問題に触れて帰国して、戻って来たのは課題先進国・日本の姿でした。

この負の連鎖をどうにか止めたい。
僕たちの世代から再び盛り上げたい。

そういった想いが強くなり、今は教育事業に取り組んでいます。

世界一周のこと、1つの記事には書ききれず、超概要編になってしまいました。
またそれぞれの詳細や、違う話も記事にできたらいいなぁ。

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