※この記事は筆者が大学生の時(2019年1月)に執筆したものであり、現在とは情報が異なる場合があります。
「西サハラ」は日本の地図上では、白抜きにされている地域だ。
国家として名称は「サハラ・アラブ民主共和国」となるが、実際は領土とされている範囲の3割しか統治できていないという。
この地域に来るまで、西サハラの問題など考えたこともなかったし、地図で白抜きの地域がどのようになっているか想像もつかなかった。
今回はその地域に足を踏み入れて来たので、まとめてみたい。
■目次
西サハラに行ってみたら…
マラケシュからバスで14時間、西サハラの名目上の首都「ラユーン」の地に足を踏み入れた。
その間にパスポートチェックはなく、バスに乗っているだけで目的地に着いた。
バスはモロッコの国営バス「supratours」が西サハラ国内も乗り入れている。
使われている通貨も「モロッコディルハム」で、電波もモロッコテレコムのSIMカードが使用できる。
本当にモロッコによる統治下であり、客観的には、モロッコにいる感覚と変わらない。
第二の街・ダフラ(ラユーンから8時間)も訪れたが、こちらも特徴的なものや目に見えるモロッコとの差はなかった。
また、移動の道中はほとんどが砂漠で、都市に集中して人口が集まっている。
そもそも、西サハラってどんなところ?
西サハラは大西洋に面し、北側にモロッコ、南側にモーリタニア、東側の一部をアルジェリアと面する地域である。
冒頭にも紹介したが、国家としての名称は「サハラ・アラブ民主共和国」である。
しかし、3割しか統治できておらず、残りの7割はモロッコが実効支配している。名目上の首都「ラユーン」もモロッコの統治下にある。
そのため、現在は首都機能がアルジェリアにあり、亡命政府となっている。
人口は約60万人(鹿児島県鹿児島市と同じくらい)、国土は約27万㎢(ニュージーランドくらい)である。
現地の人の本音は…
カフェに入って作業をしているとカフェの定員のオマール君から話しかけられる。
仲良くなり、英語で話をしていく中で「あなたは西サハラをモロッコだと思うか?」という趣旨の質問をされた。
いきなり斬り込まれ、驚きつつも、僕は素直に「モロッコと変わらないと思う」と答えた。
すると彼は「いやいや、西サハラは西サハラだ」と主張を強くする。
「あっ、申し訳ない」という気持ちがすぐに湧いたが、彼が丁寧に西サハラが別の国であることを教えてくれた。
西サハラは別の民族!?
まず何が違うのか?最大の違いは民族とのことだった。
(彼から教えてもらったことをもとに、実際に調べて以下、まとめた)
モロッコは「アラブ人」と「ベルベル人」が多くを占めており、混血が進んでいる。
そのため、公用語は「アラビア語」と「ベルベル語」である。
西サハラは「サハラウィー人」が多い。(もちろん、アラブ人やベルベル人もいる。)
そして公用語とされるのは「ハッサニア語」だと教えてもらった。
調べたところ、ハッサニア語はアラビア語の方言であり、モーリタニアなどで使われている。
また、周りの西アフリカ諸国は旧フランスの植民地だったが、この地域だけは旧スペインの植民地であり、スペイン語も通じることがあるという。
ちなみに、オマール君のご両親はスペイン語が話せるらしい。
西サハラについて詳しく調べてみることにした。
そもそも何故、西サハラ問題は生まれたか?
歴史の要点を簡潔にまとめたが、気になる人は参考文献から詳しく読んでみてほしい。
西サハラは1884年にスペインの植民地となり、1975年にスペインはその領有権を手放す。
そして、1976年からモロッコとモーリタニアが分割統治するようになる。
その中で西サハラの独立を目指す解放戦力が、アルジェリアで亡命政権を樹立した。
その後、モーリタニアとの争いでは有利に進め、1979年にモーリタニアは西サハラの領有権を正式に放棄。
しかし、その地域を再びモロッコが占領し、現在に至っている。
モロッコが統治して良いという根拠はないが、西サハラ政府が西サハラ全土を統治したことも未だかつてないし、実際に統治できるのかは難しいところだという。
詳しくはこちらから(国連広報センター)
西サハラをもっと詳しく
国家として84カ国が承認しているが、現在そのうちの37カ国が凍結中らしい。(詳しくはこちら)
承認している国に西欧の国はなく、ほとんどがアフリカや中米の国である。
日本やアメリカはモロッコの領有権も認めていないので、地図などでは白抜きになっている。
2月27日の「独立記念日」や5月10日の「ポリサリオ戦線設立の日」など、独自の祝日も定められている。もちろん、国旗や国家もある。
一部、西サハラが統治している3割の領土は、国土の東側(アルジェリア側)である。
その地域は、通称「砂の壁」というモロッコ軍が作った壁で境界線が作られている。
この壁はイスラエルの専門家や技術者の協力で作られたとのことで、イスラエルとパレスチナを隔てる分断壁を思い出す。
ちなみに、この砂の壁の周りには地雷が埋まっているらしく、日本の外務省の危険度マップも真っ赤である。
西サハラはモロッコが嫌いか?
さて、そんな西サハラとモロッコの関係を知ると街の見方も変わってくる。
無礼ながら、オマール君に「西サハラの人はモロッコをどう思うのか」と聞いてみた。
「モロッコ政府は嫌いだが、モロッコ人は関係ないので好きだ」とのこと。
ごもっともな回答である。
また、モロッコに出稼ぎに行って帰ってきた友達を紹介してくれて、「こいつは昔は西サハラの人間だったが、モロッコに長くいたから、もうモロッコ人なんだ、ハッハッハ〜」と笑いあっていたので、なんだか平和を感じた。
伝統衣装もモロッコと西サハラでは違う。
食文化も「ラクダを食べる」などモロッコとは異なるらしい。
どちらかといえば、モーリタニアにかなり近いようだ。
僕の考えと解決策
モロッコが領有権を主張する理由は「リン鉱石」があることと、天然ガスの埋蔵の可能性だと思われる。また、ここまでインフラ等を整備し、またその分のお金を投じてきたので、より手放しにくいだろう。
また、このまま西サハラ問題が風化し、モロッコ実効支配のまま、モロッコの領土になるのは西サハラ政権として最も避けたいところ。
難しいことは百も承知だが、できるだけ両者にとってメリットの多い解決策を考えてみた。
新しい石油と天然ガスの領有権に限っては、モロッコと西サハラの2カ国で分担する。
しかし、その代わりに西サハラ全土の領有権は西サハラ政権に譲渡する。整備したモロッコ政府が整備したインフラも、西サハラ政権に譲渡する。
また譲渡期間として10年間をかけて警察権等をモロッコから引き継ぐ。
その期間内で、国連等の国際機関からの援助を受け、国の体制を構築する。
ただし、すでに進出しているモロッコ系の企業に関しては撤退の必要はなく、10年間はモロッコ国内と同様の企業活動ができ、10年後からも存続を前提とした上で、西サハラ政府の定める税率や法律のもとで企業活動をする。
これで西サハラは独立することができ、国際社会からの見え方が綺麗な形でモロッコも資源的な利益を享受できる。特にモロッコの民間企業がインフラを握った形で引き継ぎできるので、民間からの反発も最小限に抑えれるのではないだろうか。
逆に、ここまで複雑化している以上、モロッコと西サハラのどちらかに軍牌が上がることはないだろう。
今後の行く末は?
特に大きな動きはないため、おそらく、今の複雑な状況は継続していくだろう。
ただ、西サハラの人々がこの領有権に関する問題で、日常で不便があるわけではない。
むしろ、都市部は治安が維持され、また通貨も信頼ある形で流通しており、落ち着いた生活が送れていることも事実である。
最後に
西サハラは治安も良く、モロッコに来たついでに時間があれば足を伸ばしても良いかもしれない。
西サハラの観光情報もこのブログにてまとめれたらと思う。
ホテルも数は少ないがBooking.comで予約できるし、ホットシャワーもしっかりと出る。
街の人々がとにかく温かくて、奢ってもらったり様々なことを教えてもらった。
実は、今はモーリタニアに向かっているバスの中で記事を書いている。
WiFIルーターがあれば、砂漠の真ん中でもWiFi環境を繋いで連絡が取れるほど通信環境も良いので、正直、驚いている。