イスラエルとパレスチナを隔てる壁「分離壁」の現実とデモの跡から学んだこと

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イスラエルとパレスチナを隔てる壁がある。
ベルリンの壁の再来を思わせるようなこの壁は、英語では「アパレルヘイト・ウォール」と呼ばれていたりもする。

国境を分ける壁なら問題はない。
ただ、この壁はイスラエルにより意図的に、パレスチナの領土にかなり食い込んで作られている。

その壁の登場によって、1つの村が分断されてしまったり、パレスチナの領土内のはずが、パレスチナ人が出入りを制限されてしまうなどの問題が生じている。

そもそものイスラエルとパレスチナの関係に関しては、こちらのブログを見て欲しい。
パレスチナってどんなところ?【概要編】〜基礎情報・歴史・分離壁・難民キャンプ・観光などざっくり解説!〜

(この記事で使用している写真も全て吉野撮影です。転載の際は事前に連絡を!)

 

分離壁の実態と観光


僕は時間の関係でバンクシーの壁には行けなかったが、別の場所にもそれを模した絵などが描かれている。

分離壁は観光地にもなっている。

特にパレスチナ側のベツレヘムの壁には、イギリルの芸術家「バンクシー」の絵が描かれており、それをみるために壁を訪れる人もいる。

イスラエル側からその壁を通過してパレスチナ側に入るのは、ほぼ検査がなく容易である。
観光地になっていたり、出入りができることから観光をしている分には大きな問題は感じない。

しかし、パレスチナ側からイスラエル側に入る際にはチェックが入る。
この壁の中に住むパレスチナ人は自由に出入りはできず、例え自分の村であっても壁の向こう側に行くことは許されない。

現地で知り合った日本人の方から、今でもデモが行われている村があるという話を聞いた。
その場所へ訪問するべく、現地の人々に聞きながら向かった。

 

デモが行われる村へ


村の中心部から壁に向かう道中(岩肌の見える土地は非日常で壮大だった)

その場所は首都ラマッラーの郊外(シェアタクシーで30分ほど)の街の外れ。
デモは毎週金曜日の礼拝の後に行われている。
(イスラム教は金曜が休みであり、みんな礼拝に行くのである)

もうそれが14年間デモが続いているらしい。
ただ、実際の現状としては、やはりマンネリ化し、デモ参加者は減っているという。

こういった政治活動と生活を継続することはやはり大変で、目の前の生活に一生懸命になってしまうという。
また、イスラエル人の中にもパレスチナを守ろうという社会活動家がいるらしく、彼らも毎週のデモに来るらしい。

 

分断壁とそこに住む人々


村を分断する「分離壁」の向こう側は、イスラエル兵が監視できる小高い丘が整備されていた

シェアタクシーでその村につき、そこから2キロほど歩いて壁に向かった。

現地に行くと、その村に住む男性が案内をしてくれると言ってくれた。
彼は他にも日本人等に現状を伝えた経験があるようで慣れていた。

壁の向こう側はやや小高い丘になっており、そこをイスラエル軍の車が走っているのが見えた。
こうして監視をされており、この壁を越えようとしているのが見つかると撃たれるという。

また、見晴らしの良い丘から分断壁が横から見える場所があった。
そこにて、男性に次のような質問をされた。

“この壁の左側と右側で何が違うように見えるかい?”


(写真の中央にあるのが壁。道路と伴って建てられている)

この壁の左側も右側も変わらない。一緒なんだ。
でも、左側しか僕たちはいけない。右側はイスラエルが支配している。

2005年までは向こうに行けたんだ。でも今は行けない。
僕たちの同じ村なんだ。

これからもどんどん小さくなって行く不安がある。
イスラエルの人たちはここを神が与えてくれた土地というが、彼らの神はそんなことを言うのか?

などといっていた。

 

男性の立場から分離壁問題を考える


壁ができる前は建っていなかった壁の向こう側の建物。イスラエルの入植者が住んでいると思われる。

彼の父親は東エルサレムに住んでいるという。
東エルサレムはパレスチナの首都という位置付けではあるが、イスラエルが実効支配している。

そして、その地に男性は行くことができない。

また、彼は昔、ヨーロッパを旅してことがあるらしい。
でも、今は壁から出ることができないせいで、旅に出ることができないそうだ。

調べて見たところ、ヨルダン川聖域地区には空港がないので、イスラエルの空港か、パレスチナのガザ地区にある空港を使う必要がある。
しかし、そのガザの空港も2001年にイスラエル軍に爆破されている。

壁の向こうに建物が見えた。
あそこには2005年は建物は建ってなかったのになぁと言っていた。

自分の立ち入れない村の一部が、勝手に開発されて行く。

それらはどんな気持ちなのだろうか?
自分の立場だったら…と想像すると、非常に苦しい。

 

デモの実態は?


タイヤを焼いたとされる跡

デモをしている場所の足元には、タイヤを燃やした後が各所で見られた。
これはデモの最中に煙を出すことで、イスラエル兵がデモをしている人の顔を認識しづらくしたり、銃で発砲しにくくする目的があるという。

彼は今まで活動をする中で車やカメラを没収されたこともあるし、顔を怪我したこともある。
また、捕まったこともあるらしい。


使用済みの催涙弾(車に踏まれて潰れたものや、側溝などにも複数落ちていた)

複数の使用済み催涙弾も落ちていた。
デモが激しい時や、イスラエル兵の兵士が暴力的な時には飛んでくるそうだ。

「この壁の上につけられたフェンスは僕らが壊したんだ」
と教えてくれた。

武力の上で圧倒的差があり、抵抗しようにもあまりにも無力だと感じた。
また、話で聞くだけではなく、目の前に明らかな証拠があり今ある現実なのだと強く理解できた。

 

パレスチナの分離壁とイスラエル


「ボイコット イスラエル フード」とか書かれていると予想される。だが、実際は多くをイスラエルからの輸入に頼っている。

イスラエルは「イスラエルへのテロリストの侵入を防ぐため」というのを名目に壁を建設している。
パレスチナ情報センターのデータによると、その壁の90%はパレスチナの領土内に建設されているらしい。

肥沃な土地を奪う、水資源を奪う、パレスチナの町と町を分断する、町を分断することで文化・教育・経済などパレスチナ人のあらゆる生活を破壊する、町と町を分断するどころか町や村の中に壁を作り一方をイスラエル側にしてしまうことでそこに暮らす住民を追放する、住居と農地の間を壁で遮断することで農業を破壊する、パレスチナ人の土地を囲い込むことでパレスチナ人の人口が増えることを抑制する、などなど様々な場所で様々な目的を持つ壁が建設されている。イスラエル政府は、この壁を「セキュリティ・フェンス」と名付けている。 壁建設の中止と徹去を求める国連決議(2003年10月21日)や国際司法裁判所の勧告(2004年7月9日)が出された後も、イスラエルはアメリカの擁護のもと、それらを無視し壁建設を続けている。パレスチナ情報センター

この問題に僕らはどう向き合い、関わることができるだろうか?
まずは国際社会がこの問題をより認知し、イスラエルの入植やその手法を見直すべきだと思う。

 

ここから僕が考えたこと


壁のすぐ隣には幼稚園があり、子供達が遊ぶ姿も見られた。壁と共に育つと、その違和感や想いも薄くなるのかもしれない。

今まで歴史で「秦が韓を滅ぼした」や「オスマン帝国が東ローマ帝国を滅ぼした」などを数多く学び、暗記してきた。
この滅ぼす・滅ぼされるの関係や、支配する・支配されるの関係の中にいた当事者たちは、今のこのイスラエル・パレスチナ問題に似た心境や境遇だったのかもしれない。(第三者のイギリスの影響が火種であるという点など、若干の違いはあるだろうが…)

もし仮にいつかパレスチナがイスラエルに屈する時が来たとしたら、この出来事や彼らの抵抗も、暗記される1つの出来事になる。この悔しさや、遣る瀬無さは忘れ去らるだろう。

思い返せば、僕にとって東ドイツと西ドイツのベルリンの壁は歴史の世界の話で、心情的な考えを巡らせたことは少ない。
この旅で歴史的建造物に多く触れて来たこともあり、歴史の重さと深さをずっしりと感じた。

 

最後に

僕はパレスチナ人やパレスチナでの活動家の方にしかインタビューをしていないので、この記事はパレスチナ側の意見や主張に偏っていると思う。
しかし、普段の報道などがイスラエル側からの見方や意見が多いように思うので、それを理解しつつもパレスチナに寄り添って書いた。

また、何かのトラブルの原因にはなりたくないので、この記事に関しては現地の方の映った写真は使用しなかった。
それと同様の理由から、この地が特定される情報も載せていない。(仮に見つけたとしても、デモのある金曜は行くのを避けた方が良い)

この壁を実際に見たい、取材したいという人は個別に連絡をもらえたらと思う。
(この地を教えてくれた方に相談をして、位置情報をお伝えするかは決めます)

複雑な問題からは目を背けたくなるが、複雑だからこそ意識を向けないと放置したままになってしまう。
他にもパレスチナ関連の記事を書いたので、良ければ読んでほしいし、この機にもう少しだけこの問題と向き合ってもらえたらと思う。