※この記事は筆者が大学生の時(2018年12月)に執筆したものであり、現在とは情報が異なる場合があります。
今回はパレスチナ難民キャンプを訪問した中での現状や学びをまとめた。
イスラエルで聞いたイスラエル側の方から聞いた話や、実際の報道の記事を盛り込み、少し多様な視点から考えれるようにしている。
非常に複雑な問題であり、1つの記事にまとめるのは厳しい。
参考のURLなどを貼っているので、興味があればぜひ、深く探って見てほしい。
イスラエルとパレスチナの関係に関しては、こちらのブログを見て欲しい
パレスチナってどんなところ?【概要編】〜基礎情報・歴史・分離壁・難民キャンプ・観光などざっくり解説!〜
(この記事で使用している写真は全て吉野撮影のものであり、転載する際は事前の距が必須)
■目次
パレスチナ難民キャンプとは
難民キャンプの入り口。しっかりと門にも記載がある。
パレスチナ国の中にパレスチナ難民キャンプが点在している。
もともと住んでいた地域がイスラエルに占領されて、住む場所を失い、難民キャンプにやって来ている。
当初は70万人だった難民も、避難先で三世代、四世代目になり、今では500万人いるそうだ。
UNHCR発表の数値で照らし合わせると、世界の難民の4人に1人がパレスチナ難民だという。(詳しくはこちら)
ヨルダンやレバノン、シリアなど第三国に避難した人々もいるが、パレスチナ国内に避難した人々もいる。
このパレスチナのヨルダン川西域地区には19のパレスチナ難民キャンプがあるらしい。
僕はラマッラー近郊の2つの難民キャンプを訪問した。
キャンプ地を訪問してみると
この難民キャンプ内のメインストリートだと思われる。普通にお店が並び、電線もある。
実際に足を踏みれると…思っていたキャンプとは違う光景があった。
“キャンプ”とはいうものの、そこには建物が建てられており、一見、普通の街にも見える。
電線やマンホールがあることから、電気や上下水道も整っていると思われる(実際は不十分な地域やエリアもあるらしい)。商店やレストランもあり、街としての機能は十分だ。
いたるところに壁があり、他の地域との雰囲気の圧倒的な違いを感じた。
見た目で普通の街と違うのは、圧倒的に落書きが多いこと。
この落書きの威圧感からか、最初は街を歩くのが少し怖かった。
その壁への落書きはパレスチナのことに関する主張だと思われる。パレスチナの旗が多く掲げられた街からは、愛国心を強く感じた。
緑色の旗はガザ地区のハマス政権
少し分かりにくいが、写真上部にあるのがハマスの旗である。
この緑色の旗はガザ地区のハマス政権の旗だ。
パレスチナ問題が複雑化している原因の1つでもある。
パレスチナはガザ地区とヨルダン川西域地区の2つに分かれており、ガザ地区はハマス政権が実効支配している。やや過激な行為で、イスラエルからの反発を買っている。
例えば、ガザ地区からイスラエル側に火のついたタコなどを飛ばし、家や畑を燃やすという行為などだ。古典的だが実際に被害が出ている。
ヨルダン川西域地区はそれとは反対に安定しているが、同じパレスチナという括りのガザがあることで、イスラエルとの溝をより深めているのが現状だ。
ある意味、ヨルダン川西域の人々や政権が、ガザはガザだと切り離せば今よりは良い関係が気付けるかもしれない。
しかし、政権は違えど同じパレスチナであり、ガザに家族がいる人や同族意識がそれを許さない。
キャンプ内に貼られたポスターに掲載されたハマス政権のロゴ。普通のパレスチナ市内ではこのようなロゴを見る機会はほぼなかったように思う。
街に貼られたポスターにはハマスのロゴが載っていた。
最近にガザとイスラエルがややぶつかりかけた時に、チアーガザというガザを応援するデモも起こったという。
ヨルダン川西域地区でハマスの痕跡を見たのは、そういった複雑な情勢のリアルを感じた。
ハマスのことに関しては詳しくはこちらからWikipediaで!
パレスチナ難民と国際社会
難民キャンプ内にあったUNRWAの事務所。割と目立つところにあった。
難民キャンプの中には国連の事務所もあった。
少し尋ねて見たが、英語が通じるスタッフがおらず断念した。
(一応、難民キャンプで写真を撮って良いか許可を得て、それは通じた)
UNHCRは各国からの資金援助で、パレスチナ難民に対する支援を行なっている。
その最大の資金拠出国はアメリカだったが、その拠出中止を表明した。(詳しくはこちら)
その理由をイスラエルの知人から聞いたところ、各国の資金援助がテロ組織へ流れているという懸念があるからだろう…と言っていた。
日本の報道では、トランプ政権のイスラエル支持を隠さないことや、資金拠出停止から難民の定義を変えようとする圧力であるという見方もある。”難民”の定義を変えることで、数字上の難民は減るという話というが、実際はどうなのだろうか…(詳しくはこちら)
日本とパレスチナ
難民キャンプではないが、地方都市・ジェリコを歩いていたらJICA事務所を見つけた
アメリカの動きと日本の動きは別なので、ここに書いておきたい。
日本は2018年12月5日にも外務大臣とUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の事務局長と対談するなど、支援の姿勢を見せている。(詳しくはこちら)
パレスチナを日本は「国」と認めていないので大使館はない。
しかし、イスラエル大使館の出張所という形で事務所があり、大使館と同じような業務を行なっているそうだ。
JICAも積極的に活動している印象が見受けられた。
難民キャンプの問題や感じたこと
難民キャンプ内ではないが、その近くにあった落書き?
UNHCRのホームページをチェックすると僕が訪問した難民キャンプは「若い男性の失業率上昇」「イスラエルの治安部隊(ISF)による居住者の侵入と拘留は、頻繁に行われていること」が問題として挙げられていた。(詳しくはこちら)
また、これは感覚的なことに過ぎないが、子供の治安が悪かった。僕に対して煽ったり、挑発をする行動が見られた。現地で活動する日本人の方も同じことを言っていた。
パレスチナの他の地域に比べても、難民キャンプ内はとりわけ英語が通じないことが非常に多く、その要因として教育レベルの違いがあると思われる。
カメラで街の風景を撮っていると、男性に呼び止められ、「写真は撮るな出て行け」というようなことをジェスチャーで言われた。
相手の立場になってみたら、外国人が生活の場に入ってきて写真を撮っているのは、必ずしも気持ちの良いことではない。もし難民キャンプに限ったことではないが、異国の地に行く際は写真の撮り方や訪問の仕方は気をつけたい。
(また、この記事では、あえて人が写っていない写真を選んで使用をしている)
2つ目のキャンプ地を訪問
こちらの難民キャンプややや規模が大きく、メインストリートがどこか分からなかった。
こちらはエルサレム行きのチェックポイント近くのキャンプ。
街の姿は似たようなものであり、抱えている問題や状況も近いので、詳細は割愛する。
ただ、1つ目のキャンプとは対照的だったのは人々の対応で、街の人々に非常に温かく迎えてもらった。
なぜか通りすがりの車が急に止まってコロッケをくれたり、お昼ご飯をご馳走になったりと至れり尽くせりだった。
そこで仲良くなったオジさん達には、色々と良くしてもらった一方で、イスラム教のお祈りの言葉を復唱させられたり、お別れの際に「君がイスラム教になるのを願うよ」とも言われた。
宗教に対する信仰が強いなと感じた。
難民キャンプ?の中にある羊小屋を紹介してもらうなど、現地のことを教えてもらった
難民キャンプとはいえども地域によって環境や不満のレベル等も違うのだろうと思う。(いずれにせよ、集団で絡んでくる子どもの感じは良いものではなかった。)
また、ヨルダンにいるシリア人難民に関しても記事を書いている。
興味があれば、ぜひこちらも。
ヨルダンのシリア難民の現実〜シリア国境近くのザアタリ難民キャンプへ〜
イスラエル側の主張
イスラエル側が立てた分断壁。詳しくはイスラエルとパレスチナを隔てる壁「分離壁」の現実とデモの跡から学んだこと
こういったパレスチナの現状に関して、イスラエルの側の立場の方から話を伺ったことも記載しておきたい。
攻撃や対立をし合っているように思われがちだが、イスラエルはパレスチナに対しての支援もしている。
ヨルダンやシリアなどアラブ系の周辺国も大きな支援をしておらず、アラブ系の国々がもっと支援すべきだという考え方もあるようだ。
パレスチナ国内の警察機能をイスラエルが担っているエリアがある。
(実は国内にもA,B,Cとパレスチナとイスラエルの権利の強さごとにエリア分けがある)
その警察機能をパレスチナ側は支配の一環だと思う人もいるが、イスラエル側からしたら支援の一環だという捉え方もある。
また、分断壁などに対するパレスチアナ側の主張も知ってはいるが、ハマス政権のやり方で実際にイスラエルが被害にあった例もあるため、このような状態は仕方がないと思っている人が多いとのこと。(僕に話してくれた人はそう言っていた)
また、イスラエルで仲良くなった学生は、パレスチナは怖くて入ったことがないと行っていた。
まとめ
実際にパレスチナに来てから学んだことや、教えてもらったことが多い。
“国際協力”などと声を大にして言って来たが、これだけの規模の難民の問題に目を向けれていなかったのは視野の狭さと知識不足を感じた。
自分の学びの整理も兼ねてブログは書いているが、この記事を読んでくれた誰かがパレスチナの問題に目を向けるきっかけになったら良いなと思う。
国際社会からの認知(日本国内での認知)不足が、力の強いものの暴走を生んでいる側面もあると思うので、しっかりと目を向けて、関心を持っていきたい。